銘輪録

ADHD持ちの40代の思いの丈発散ブログ

2017年3月16日水曜日

昨日あたりから花粉症が酷くなってきた。どうやらピークを迎えている。さらに自分はヒノキの方が酷くなるので、だいたい5月くらいまで引きずる。ああ、嫌だ。今年は珍しく早くからアレルギーの薬を貰って服用しているので、そこまで酷くなかったが、先述したように昨日から症状が顕著に出るようになってきた。毎年の事とは言え、さすがに辛い。。。先週の土日はライブとかフリーマケットに参加したりと忙しかった。土曜日は知人の結婚披露パーティだったので楽しい時間を過ごした。フリマもまあまあ売れてお小遣いくらいにはなったし、開催時間の間もいろんな人達とおしゃべりをしていたのであっという間だった。そんな感じだったので週明けの虚脱感がすごい。火曜日は通院日だったので外出して食料の買出しをした。最近は土井善晴先生の料理番組にはまって自分でも料理をするようになった。今までは料理というよりは「ただ焼くだけ」「煮るだけ」みたいな感じだったが、先生の味噌汁の多様性をテレビ番組「おかずのクッキング」で見て考え方ががらっと変わった。「一汁一菜」のすすめを先生がしておられる。ご飯と具だくさんの味噌汁と香の物というシンプルなスタイルならば毎日続けられるというというのが先生の主旨だと思われる。その具だくさんの味噌汁の作り方が白眉だった。普通は出汁をとって具を炊いて味噌を溶いてというのが我々の認識だろう。が、先生の作り方はちょっとの違いがある。このちょっとの違いが出来に大きな違いを産み、「工夫」の面白さを再確認させてくれる。一例としては豚のバラ肉をごま油で炒めてから水を入れて具を入れて沸騰させてから味噌を溶いていれて火を弱める。出汁は豚肉からでる油。これがコクがあっておかずとしての機能を有していてご飯がすすむ。テレビでは他にもオリーブ油を使ってトマトやナスを入れた味噌汁を紹介。さらにトーストをその味噌汁に浸すというんもあったり、唐揚げを入れた味噌汁など驚きのメニューの連続だった。しかも、全然難しくないし、応用もいっぱいできる。ちょっとした工夫が美味しさを出す最大の出汁なのではないかとも思った。youtubeでは週刊プレイボーイのチャンネルにおいて「唐揚げ」や「ハンバーグ」「トンカツ」など男が好きそうなメニューを週プレの若手編集者に土井先生が教えるという特集動画がアップされていて、これも面白かった。教え方もユーモアがあって教え方が実にうまい。そして、何より「これなら誰でもできますでしょ?」というスタイルが貫かれていて俄然、料理欲が沸くのだ。昨日買い物行った時でも自然に「味噌汁の具」を探し始める。そうなると自然に野菜売り場に長居することになる。漠然と食材を買うより方針が決まったほうが面白いという当たり前の事に気がつかされた。躁うつのサイクルが躁状態に入ったと認識して先週から抗うつ剤を排除。そのおかげかフワフワした感じの中、テンションを上げすぎないようにする努力もしなければならない。楽しむときは楽しむ。静かにするときは静かにする。そんな時に「料理」が楽しいという事に気が付けたのはラッキーだった。元々料理することは嫌いではなかったがここ1年(彼女にふられてから)家で揚げ物とかめんどくさくて全くしてなかった。おかげでインスタント食品中心になり、血圧も高めな感じになってた。振り返ってみたら「自暴自棄」になってたのかもしれないなと思ったりした。土井善晴先生の「一汁一菜」のおかげでなんか考え方が変わるきっかけになるような気がする。話は変わる。妹がいきなり引っ越すという話を聞く。しかも来月頭らしい。びっくりして電話で話をした。いろいろ考えての決断ということで「なんとも逞しい妹」なんだと素直に思った。なんかいろいろ動き始めているのかもしれない。自分も今住んでいる家(実家)の事とか動き出さねばならない。やる事はたくさんあるのだ。ぐぐぐ。

気分が高揚してきた!

先週の木曜日くらいからいきなり身体が軽くなった感じになってきて、どうやら躁転したみたい。その翌日、衝動に駆り立てられ予定してなかった外出をしてしまい余計な出費をしてしまったり、夜も寝付けないし、寝てもすぐ目が覚めてしまい、寝ようと思ってもいろんな考えが次から次へと浮かび、それらを今すぐ実行したい気持ちになってさらに寝れなくなったりしてる。そんな感じの時は気を付けてテンションが上がらないようにとにかく冷静に立ち止まって周りを見渡さなければならない。今は家の片付けや決まっている予定の時のために体調を整える事。そんな事を言い聞かせて今日も家の片付けをして過ごした。こういう時の「国会中継」はありがたい。ラジオで流しながら淡々と作業が出来る。音楽とかだと逆にアイデアが浮かんで衝動的になりかねない。国会中継の言葉の応酬を聞いていると、脳の思考が麻痺して作業に集中できる。とはいえ、気分が上がった時の方がやっぱり怖い。幸いイベントなど出演の予定もほとんど入っていないし、行きたいイベントも無い。お金も無いし、大好きな特撮ヒーロー番組をネットで見たりして過ごすつもりだ。ADHDらしく部屋はグチャグチャである。特にかつて自分の部屋だった場所はここ2年まったく手付かずだった。ここ数日その部屋の片付けを始めた。ゴミ袋はあっという間にいっぱいに。いわゆる「断捨離」がしたくて始めたもののこれが難しい。懐かしさを感じる物品をゴミ袋に入れ得るというのは苦痛なんだなと初めて思った。「これは使える」「これは持っておきたい」という気持ちとの戦いは実に厳しい。とはいえ、やらねば新しく人生の再スタートが切れないぞという気持ちも起きて来てとにかく捨てるのだ。f:id:okky0530:20170306223751j:image

ダメダメだ

昨日の昼寝が響いて夜寝れず。お陰で午前0時前に布団に入ってもお目々ぱっちり。眠りに入ったのは3時くらいになったんじゃないかな?で、目覚めたのが午後3時前。。。。国会中継も聞けずに、小池委員の質問の続きとか山本太郎委員の「アッキード事件」などエキセントリックなやりとりなど生で耳にできなかった…………なにをしてんかなと思い返すと現政権の外交に付いて考えていた事をノートにメモ書きしていたのだ。ラジオ流しながら。でご飯食べながら「カルテット」や「東京タラレバ娘」を見たり「サンバルカン」の続きを見たり。ほんとこういう生活二度とできんししたくもない。今はとにかく養生するしかない。寝る!

今日から三月

これといって書く事も無いけど、今日も早く起きてというより3時くらいに目が覚めてそれから寝付けなかった。そのまま朝ごはんを食べた後、自宅の2階の片付けにかかった。これが言葉では言い表せない程の惨状で数時間悪戦苦闘してゴミ袋2袋になっても見た目に変化無し。昼ごはん食べたらどっと

疲れが出てしまい昼から寝る羽目に。焦らずにやっていこう。そんなところかな?今日は。おやすみなさい、地球。

2017年2月28日 通院日

昨晩早く床についたおかげで朝、スッキリ起きる事ができた。午前中、ムーンライダーズの作品群をPCに取り込んでiPhoneで聴けるようにした。そのiPhoneを持って昼から市内の心療内科に行った。この病院に通うようになって1年が過ぎた。去年の末くらいから毎週通っている。診察といってもだいたい気分の事や私生活の悩みとかを話すくらいだ。最初は「ここの病院大丈夫かな?」と少しは思ったが、1年通ってみて、少しずつ気分の波の幅が狭くなって来たように感じて来た。さらに今日は本屋に寄ってADHDの本が安くあったので買ってみた。櫻井公子著「どうして私、片付けられないの? ADHDハッピーマニュアル」という本。手にとってぱらぱらっと目を通して軽い感じがいいなあと思ったので購入した。これを読んでいろいろ取り組みをして行こうとは思うんだけど、つい「完璧」を求めてしまう。「できないのならやらないほうがマシ」と思ったり、「これが出来れば苦労はしないよ」とか思ってしまう。まあ、できそうな所からいろいろ実践していこう。部屋の片付けや整理は焦眉の急でもあるし。就労支援移行事業所の通所まで数ヶ月あるし、その間も取り組まねばならない課題もある。のんびりと行きたいところだが、そうもいってられない。でも、どこから取り組めば良いのやら………f:id:okky0530:20170228220728j:image

にほんのゆくすえ

インターネットというのはせかいのじょうほうをたくさんみられるまほうのはこのようなものだ。じょうほうはしゅんじにけーぶるやでんぱにのってちきゅうじょうをかけめぐり、ひとりひとりがじぶんのいけんをひょうめいできる。じんるいのれきしのなかでこれまでありえなかったことだ。が、いいことばかりではない。べんりでたくさんのひとがつかうということは、それをそうさしてだれかのつごうのいいじょおうほうだけをながしたりしてひとびとをせんどうし、もくてきをとげるなんてこともぼくたちのしらないあいだにおこなわれているにちがいない。そして、いちどじょうほうそうさのじじつがろていすると、そのじょうほうげんのしんらいはゆらぎ、ひとびとはなにをしんじていいのかわからないようなじょうきょうにおちいいる。だれかにとってはこうつごうなじょうきょうがうまれる。いまのにほんのネットニュースはみごとにそうさされている。そのほこさきは、まちがいなくSNSじょうでせいじてきなはつげんをしているひとびとである。いっぱんてきにほしゅ、リベラルとよばれるひとびとはとくにじぶんのつごうのいいじょうほうにはほいほいとくいつき、それをじぶんのおくそくやかんそうをつけてかんたんにかくさんしていく。かいたほんにんはよのひとびとにしらせたというじこまんぞくをえて、つぎのじょうほうのけんさくにじかんをついやす。かれらはこうどうしない。いな、かれらはいすにすわっているか、ベッドになこがってるか、なにかのまちじかんかそんなじょうきょうでディスプレイとキーボードにむかってもじをうちこむというこうどうをしている。それがだれのもくてきにかたんしているかもしれないというかんがえはうかばないようだ。だれかのもくてきどおりにはんのうしことばをはっし、かくさんしてくれているようにじぶんにはみえてならない。

近況2017年2月27日

最初に記載してからかかなり時間が経ってしまった。最近はというと、迷いに迷っている。昨年の年末には音楽活動に邁進していたのだけど、大きなイベントが終わってから、特に年明けから音楽したい気持ちが、無いわけではないけど、湧いてこない。身体的な調子には太ったくらいで大きな病気もなく今日まで来てはいるものの、精神的な面では実に不安定な航行を続けている。通院もできているし、服薬もちゃんとしている。そのお陰もあり、以前のように大きく落ち込むという事は無くなってきた。そういうのもあり、そろそろ「仕事」の事も考えねばと思い、「就労支援移行事業所」に通うべくその選定に当てていたのがこの数ヶ月。3ヶ所ほど体験もした。区役所の福祉課の人に勧められた事業所がいちばん自分に合っていると思いそこに決めた。手続きは新年度からになり、通所は7月、早くて6月なんだそうだ。そんな感じで人生の道筋をどう付けていくかこの年齢(私は43歳で間もなく44になる)で果たしてこれからどうすればいいのかよくわからなくなってしまった。同級生は子供も大きくなったりしているのに、と自分で自分の首を絞めるような考えが浮かんでしまい絶望的な気分に陥る事も多々あり、そういう不安感が僕を苦しめるのだ。ひとりで暮らすように(犬と猫がいるが)なって2年くらいになり、悲しい事だがひとりにもの慣れてきた(犬と猫がいなくなったらとか考えるとそれはそれで寂しいとは思うが)。普通に生きる。そもそも普通なんてよくわからない。が、自分が普通ではないことだけはよく分かっている。自分に何ができるのかとかもよくわからない。何がしたいのかと問われれば「音楽や映像や文章とかやりたい」と答えるが「仕事」となるとぱたっと思考が停止してしまう。要するに、「中途半端」なんだ。そう思い、何かに一筋にと思ったりもしたが、できない。できない。この「できない」感がまた脳みその中を駆け巡り、不安の淵へと僕を落とそうとする。そうならないように防御を図るものの、耐え切れずに行動のその第一歩を阻む。「誰かのせい」にしているのではなく、「抱え込む」という行為をひたすらに反駁しているにだけなのだ。辛い。辛いよ。人は「あんまり抱え込まないように」と言ってくれる。ありがたい。実にありがたい。でも、言われたその場で出る言葉は「すいません」だったり「いやいや申し訳ない」だったり。なんで謝るんだ!何に謝罪をしているんだ!本当によくわからない。自分が。知り合いは果敢に音楽活動に精を出している。そんな姿をSNSで見る。すごい。すごいと思う。素直に。自分は?となる。「なにもしてないじゃん」と考えてしまう。そんな考え無意味と分かっている。分かっていても、浮かんできたらデジタル機器みたいにぱぱっと消せない。消せたらいいのに。同じように発達障害の女性がSNSに自分の本心をさらけ出している投稿を見ると、自分には真似できないなと思う。できないから自分はこうやって匿名のブログを書く事にした訳だが、それも1回書いたきりで書いてなかった。文章を脈絡とか考えずにがぁっと書くだけでもストレス解消になるのだ。とにもかくにも個人的な問題は山積していて僕の目の前に壁となって立ちはだかっている。