銘輪録

ADHD持ちの40代の思いの丈発散ブログ

にほんのゆくすえ

インターネットというのはせかいのじょうほうをたくさんみられるまほうのはこのようなものだ。じょうほうはしゅんじにけーぶるやでんぱにのってちきゅうじょうをかけめぐり、ひとりひとりがじぶんのいけんをひょうめいできる。じんるいのれきしのなかでこれまでありえなかったことだ。が、いいことばかりではない。べんりでたくさんのひとがつかうということは、それをそうさしてだれかのつごうのいいじょおうほうだけをながしたりしてひとびとをせんどうし、もくてきをとげるなんてこともぼくたちのしらないあいだにおこなわれているにちがいない。そして、いちどじょうほうそうさのじじつがろていすると、そのじょうほうげんのしんらいはゆらぎ、ひとびとはなにをしんじていいのかわからないようなじょうきょうにおちいいる。だれかにとってはこうつごうなじょうきょうがうまれる。いまのにほんのネットニュースはみごとにそうさされている。そのほこさきは、まちがいなくSNSじょうでせいじてきなはつげんをしているひとびとである。いっぱんてきにほしゅ、リベラルとよばれるひとびとはとくにじぶんのつごうのいいじょうほうにはほいほいとくいつき、それをじぶんのおくそくやかんそうをつけてかんたんにかくさんしていく。かいたほんにんはよのひとびとにしらせたというじこまんぞくをえて、つぎのじょうほうのけんさくにじかんをついやす。かれらはこうどうしない。いな、かれらはいすにすわっているか、ベッドになこがってるか、なにかのまちじかんかそんなじょうきょうでディスプレイとキーボードにむかってもじをうちこむというこうどうをしている。それがだれのもくてきにかたんしているかもしれないというかんがえはうかばないようだ。だれかのもくてきどおりにはんのうしことばをはっし、かくさんしてくれているようにじぶんにはみえてならない。

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近況2017年2月27日

最初に記載してからかかなり時間が経ってしまった。最近はというと、迷いに迷っている。昨年の年末には音楽活動に邁進していたのだけど、大きなイベントが終わってから、特に年明けから音楽したい気持ちが、無いわけではないけど、湧いてこない。身体的な調子には太ったくらいで大きな病気もなく今日まで来てはいるものの、精神的な面では実に不安定な航行を続けている。通院もできているし、服薬もちゃんとしている。そのお陰もあり、以前のように大きく落ち込むという事は無くなってきた。そういうのもあり、そろそろ「仕事」の事も考えねばと思い、「就労支援移行事業所」に通うべくその選定に当てていたのがこの数ヶ月。3ヶ所ほど体験もした。区役所の福祉課の人に勧められた事業所がいちばん自分に合っていると思いそこに決めた。手続きは新年度からになり、通所は7月、早くて6月なんだそうだ。そんな感じで人生の道筋をどう付けていくかこの年齢(私は43歳で間もなく44になる)で果たしてこれからどうすればいいのかよくわからなくなってしまった。同級生は子供も大きくなったりしているのに、と自分で自分の首を絞めるような考えが浮かんでしまい絶望的な気分に陥る事も多々あり、そういう不安感が僕を苦しめるのだ。ひとりで暮らすように(犬と猫がいるが)なって2年くらいになり、悲しい事だがひとりにもの慣れてきた(犬と猫がいなくなったらとか考えるとそれはそれで寂しいとは思うが)。普通に生きる。そもそも普通なんてよくわからない。が、自分が普通ではないことだけはよく分かっている。自分に何ができるのかとかもよくわからない。何がしたいのかと問われれば「音楽や映像や文章とかやりたい」と答えるが「仕事」となるとぱたっと思考が停止してしまう。要するに、「中途半端」なんだ。そう思い、何かに一筋にと思ったりもしたが、できない。できない。この「できない」感がまた脳みその中を駆け巡り、不安の淵へと僕を落とそうとする。そうならないように防御を図るものの、耐え切れずに行動のその第一歩を阻む。「誰かのせい」にしているのではなく、「抱え込む」という行為をひたすらに反駁しているにだけなのだ。辛い。辛いよ。人は「あんまり抱え込まないように」と言ってくれる。ありがたい。実にありがたい。でも、言われたその場で出る言葉は「すいません」だったり「いやいや申し訳ない」だったり。なんで謝るんだ!何に謝罪をしているんだ!本当によくわからない。自分が。知り合いは果敢に音楽活動に精を出している。そんな姿をSNSで見る。すごい。すごいと思う。素直に。自分は?となる。「なにもしてないじゃん」と考えてしまう。そんな考え無意味と分かっている。分かっていても、浮かんできたらデジタル機器みたいにぱぱっと消せない。消せたらいいのに。同じように発達障害の女性がSNSに自分の本心をさらけ出している投稿を見ると、自分には真似できないなと思う。できないから自分はこうやって匿名のブログを書く事にした訳だが、それも1回書いたきりで書いてなかった。文章を脈絡とか考えずにがぁっと書くだけでもストレス解消になるのだ。とにもかくにも個人的な問題は山積していて僕の目の前に壁となって立ちはだかっている。

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一所懸命

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人間関係がうまく構築できないというか、付き合うべき相手を間違えているように思えてならない。ただ単にうまく利用されているだけなんじゃないかとか思う。相手に良かれてといろいろして、こっちが少しでも相手にとって気に入らないことをすると容赦なく叩いてくる。なんだ、それ。自分が悪いのか?本当に腹が立つのです。結局、「自分が悪い」と自分にすべての責任を持っていってしまい、気分が下がる。せっかく、自分なりに考えて気分をよくするように動いたのに、たったちょっとツイートしたぐらいで罵倒してくる。なにもかもおじゃんだ。こんなにキツイ気分になっていたとしても、多分相手はなんとも思っていないだろう。そんな考えを頭の中で繰り返していると、その負の考えが増幅されていく。頭が回らなくなる。なんも入らなくなる。気が狂いそうになる。将棋棋士、故村山聖の足跡を俳優、東出昌大が追うというドキュメントを見て「命懸け」で将棋に人生を駆け抜けた村山を支えた師匠や棋士仲間や看護婦さんのやさしさにすごい感銘を受けた。「彼はできない事はたくさんあったかもしれない。でも、出来る事好きな事には完全燃焼できた」と語る師匠の姿に感動した。自分も今、一生をかけるに値するものを見つけかけているという手応えがある。いろんなものが不思議に自分のまわりに浮遊し始めている。けど、自分からいいと思って近づくと痛い目に合うとはいったいどういうことなんだ?SNSももあんまりしないようにしよう。監視されている気分になる。自分の精神にとってマイナスになる。イベントの告知ぐらいにしよう。いま、出来る事好きな事を懸命に真正面から向き合おう。行動しよう。発信していこう。(2016年11月23日水曜日 寒波到来の夜に)

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