銘輪録

ADHD持ちの40代の思いの丈発散ブログ

にほんのゆくすえ

インターネットというのはせかいのじょうほうをたくさんみられるまほうのはこのようなものだ。じょうほうはしゅんじにけーぶるやでんぱにのってちきゅうじょうをかけめぐり、ひとりひとりがじぶんのいけんをひょうめいできる。じんるいのれきしのなかでこれまでありえなかったことだ。が、いいことばかりではない。べんりでたくさんのひとがつかうということは、それをそうさしてだれかのつごうのいいじょおうほうだけをながしたりしてひとびとをせんどうし、もくてきをとげるなんてこともぼくたちのしらないあいだにおこなわれているにちがいない。そして、いちどじょうほうそうさのじじつがろていすると、そのじょうほうげんのしんらいはゆらぎ、ひとびとはなにをしんじていいのかわからないようなじょうきょうにおちいいる。だれかにとってはこうつごうなじょうきょうがうまれる。いまのにほんのネットニュースはみごとにそうさされている。そのほこさきは、まちがいなくSNSじょうでせいじてきなはつげんをしているひとびとである。いっぱんてきにほしゅ、リベラルとよばれるひとびとはとくにじぶんのつごうのいいじょうほうにはほいほいとくいつき、それをじぶんのおくそくやかんそうをつけてかんたんにかくさんしていく。かいたほんにんはよのひとびとにしらせたというじこまんぞくをえて、つぎのじょうほうのけんさくにじかんをついやす。かれらはこうどうしない。いな、かれらはいすにすわっているか、ベッドになこがってるか、なにかのまちじかんかそんなじょうきょうでディスプレイとキーボードにむかってもじをうちこむというこうどうをしている。それがだれのもくてきにかたんしているかもしれないというかんがえはうかばないようだ。だれかのもくてきどおりにはんのうしことばをはっし、かくさんしてくれているようにじぶんにはみえてならない。

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